2011年 06月 02日
話し続けること、向き合うこと、手を離さないこと |
見てからだいぶ時間はたってしまったのだけれど、
ここ数週間の間に見た2本の映画のことをずーっと考えています。
「ブルー・バレンタイン」と「キッズ・オールライト」の2本。
大々的に宣伝をしているわけではないけれど、すごく丁寧に作られていて
しかも人間関係というテーマから逃げていない真摯な作品です。
どちらも6月中には上映が終わってしまうみたいなので、未見という方はぜひにぜひに。
「ブルー・バレンタイン」
関係が破綻しつつある一組の夫婦が、決定的に決裂してしまうまでを丹念に追った作品。
どんどんだめになってゆく現在の合間合間に、出会って恋が芽生え結婚に至るまでの
キラキラした日々がはさみこまれているのが、何とも切なく、残酷でした。
「キッズ・オールライト」
レズビアンのカップルと、彼女たちが精子提供を受けて生んだ子供たちによるひとつの家族。
成長した子供たちが自分たちの遺伝子学上の父親を探し出したのをきっかけに、
家族の関係がどんどん揺さぶられていく物語。
人間ってホントだめでよわい……でも、愛すべきものだ、と苦さも含めて描いていてナイス。
この2つの映画、まったく別の監督が撮った作品だったのに、
なぜかわたしの中では同じひとつの根をもつ物語として結びつけられてしまいました。
見終わって、映画館を出て、うすぼんやりと日が暮れてきた街を歩いているうちに
ぽこんと脳裏に浮かんできたのが、今日の記事のタイトルにもなっている
「話し続けること、向き合うこと、手を離さないこと」で。
「ブルー…」は、これらをやめてしまった物語。
「キッズ…」は、これらをあきらめなかった物語。
そんなふうに思いました。
しかしまあ、おかしなものです。
セクシュアリティの違いこそあれ、「ブルー…」の夫婦も、「キッズ…」のカップルも
出会い、ともに生きていこうと決めた時には
「この人以外にいない」とかたく信じていたはずなのにねー。
まあ、これは映画だけの話ではなく、恋愛を経験したことがある人なら
誰でも覚えのある苦い記憶だと思いますが……
(モチロンワタシモフクメテデスヨ〜)
で、やはり考えるのは、続くものとそうでないものの違いは何なのだろうかということです。
もちろん、それぞれの事情や背景があるから一概には言えないけれど,
わたしはそこを「ちゃんと話をしていたかどうか」
「そしてその話がちゃんと届いていたか」
「さらに、そこで話されたことに、誠実に何かを返していたか」
に尽きるのではないかと思いました。
「ブルー…」の夫婦は、恋が始まった当初の勢いこそ激しくまぶしかったものの、
そこにちゃんとした「会話」がなされた形跡を見ることができません。
おたがいが見ているのは、自分が思い描く「理想の異性像」や「都合のよい相手」。
恋の魔法がとけてしまった後には、ただひたすら「あれ……こんなんだっけ……」という
戸惑いと、やがてそれがふくらんで生まれるいらだちしか残らない。
「キッズ」のカップルは、なれそめを語るシーンこそあれ、
関係性が生まれたばかりの映像は一切登場しませんが、
とにかくよく話をしていることが伝わってきます。
(ある事項についてどう思うか、わりとよく議論をしています。ほとんど女医さんの勝ちだけど)
途中、このカップルにも大きな危機が訪れますが、傷つき、悲しみ、怒りにふるえながらも
彼女たちは、つないだ手を離すことはしなかった。
それは、やはり「この人なら、自分の言葉がちゃんと届く」という実感を
持てていたからではないかなあ。
最近、会話について考えることがちょくちょくあって。
話しているうちに、どんどん育っていくように広がる会話って、
最高の娯楽であり、学習の場であり、繊細な行為なんだなあと感じています。
自分が考えていること、自分の気持ちを、わりと深く掘り下げてそれを相手に伝えるのって
ものすごくやわらかくて繊細な…心とか、気持ちとか、脳の中を
そっと差し出すようなものじゃないかと思うのです。
だからまあ、あれです。
ちゃんと話ができる人がいるのなら、その人と話をしようよ。
という話です。 ああ凡庸なオチだ。でも、大事です。
※「ブルーバレンタイン」について、愛するラジオ番組「ウィークエンドシャッフル」の
パーソナリティー宇多さんとスタッフさんたちが語り合っているポッドキャスト。
それぞれの恋愛観、ひいては人間関係論も聞けてすごく面白い。
この方たちもまた「会話というエンタメの楽しさ」を熟知していると思うなー。
※SMAPの「しようよ」を矢野顕子せんぱいがカバーしたバージョン。
はじめて聞いた95年当初から16年を経て、この歌詞のしょっぱさ、きつさが
しみじみとわかるように。
あー、ほんとね、こういうどうでもいいことの積み重ねなのよね。
だからって、築いた関係がどうでもいいことってわけじゃないのが、人生の妙なのよね。
ここ数週間の間に見た2本の映画のことをずーっと考えています。
「ブルー・バレンタイン」と「キッズ・オールライト」の2本。
大々的に宣伝をしているわけではないけれど、すごく丁寧に作られていて
しかも人間関係というテーマから逃げていない真摯な作品です。
どちらも6月中には上映が終わってしまうみたいなので、未見という方はぜひにぜひに。
「ブルー・バレンタイン」
関係が破綻しつつある一組の夫婦が、決定的に決裂してしまうまでを丹念に追った作品。
どんどんだめになってゆく現在の合間合間に、出会って恋が芽生え結婚に至るまでの
キラキラした日々がはさみこまれているのが、何とも切なく、残酷でした。
「キッズ・オールライト」
レズビアンのカップルと、彼女たちが精子提供を受けて生んだ子供たちによるひとつの家族。
成長した子供たちが自分たちの遺伝子学上の父親を探し出したのをきっかけに、
家族の関係がどんどん揺さぶられていく物語。
人間ってホントだめでよわい……でも、愛すべきものだ、と苦さも含めて描いていてナイス。
この2つの映画、まったく別の監督が撮った作品だったのに、
なぜかわたしの中では同じひとつの根をもつ物語として結びつけられてしまいました。
見終わって、映画館を出て、うすぼんやりと日が暮れてきた街を歩いているうちに
ぽこんと脳裏に浮かんできたのが、今日の記事のタイトルにもなっている
「話し続けること、向き合うこと、手を離さないこと」で。
「ブルー…」は、これらをやめてしまった物語。
「キッズ…」は、これらをあきらめなかった物語。
そんなふうに思いました。
しかしまあ、おかしなものです。
セクシュアリティの違いこそあれ、「ブルー…」の夫婦も、「キッズ…」のカップルも
出会い、ともに生きていこうと決めた時には
「この人以外にいない」とかたく信じていたはずなのにねー。
まあ、これは映画だけの話ではなく、恋愛を経験したことがある人なら
誰でも覚えのある苦い記憶だと思いますが……
(モチロンワタシモフクメテデスヨ〜)
で、やはり考えるのは、続くものとそうでないものの違いは何なのだろうかということです。
もちろん、それぞれの事情や背景があるから一概には言えないけれど,
わたしはそこを「ちゃんと話をしていたかどうか」
「そしてその話がちゃんと届いていたか」
「さらに、そこで話されたことに、誠実に何かを返していたか」
に尽きるのではないかと思いました。
「ブルー…」の夫婦は、恋が始まった当初の勢いこそ激しくまぶしかったものの、
そこにちゃんとした「会話」がなされた形跡を見ることができません。
おたがいが見ているのは、自分が思い描く「理想の異性像」や「都合のよい相手」。
恋の魔法がとけてしまった後には、ただひたすら「あれ……こんなんだっけ……」という
戸惑いと、やがてそれがふくらんで生まれるいらだちしか残らない。
「キッズ」のカップルは、なれそめを語るシーンこそあれ、
関係性が生まれたばかりの映像は一切登場しませんが、
とにかくよく話をしていることが伝わってきます。
(ある事項についてどう思うか、わりとよく議論をしています。ほとんど女医さんの勝ちだけど)
途中、このカップルにも大きな危機が訪れますが、傷つき、悲しみ、怒りにふるえながらも
彼女たちは、つないだ手を離すことはしなかった。
それは、やはり「この人なら、自分の言葉がちゃんと届く」という実感を
持てていたからではないかなあ。
最近、会話について考えることがちょくちょくあって。
話しているうちに、どんどん育っていくように広がる会話って、
最高の娯楽であり、学習の場であり、繊細な行為なんだなあと感じています。
自分が考えていること、自分の気持ちを、わりと深く掘り下げてそれを相手に伝えるのって
ものすごくやわらかくて繊細な…心とか、気持ちとか、脳の中を
そっと差し出すようなものじゃないかと思うのです。
だからまあ、あれです。
ちゃんと話ができる人がいるのなら、その人と話をしようよ。
という話です。 ああ凡庸なオチだ。でも、大事です。
※「ブルーバレンタイン」について、愛するラジオ番組「ウィークエンドシャッフル」の
パーソナリティー宇多さんとスタッフさんたちが語り合っているポッドキャスト。
それぞれの恋愛観、ひいては人間関係論も聞けてすごく面白い。
この方たちもまた「会話というエンタメの楽しさ」を熟知していると思うなー。
※SMAPの「しようよ」を矢野顕子せんぱいがカバーしたバージョン。
はじめて聞いた95年当初から16年を経て、この歌詞のしょっぱさ、きつさが
しみじみとわかるように。
あー、ほんとね、こういうどうでもいいことの積み重ねなのよね。
だからって、築いた関係がどうでもいいことってわけじゃないのが、人生の妙なのよね。
by kittarihattari
| 2011-06-02 23:55
| 今さら名画座