2010年 10月 25日
意味付け作業 |
たとえば個展。たとえばグループ展。たとえばコンペ。
もっといえば、このブログもそうだけど、何のためにやるんだろう、これをやることにどんな意義があるんだろう、っていうのを結構考えてしまう。
そうやって意味付けをしないではいられない自分を「うっとおしいなー」とか「めんどくせーなー」とか思いつつ、わりとこの作業は頻繁に自分の中で行われているのです。めんどくせえなあ自分。
コンペへの応募については、今年に入ってからやっと「自分の力がどこまで届くかを見られる場」という定義をつけることができた。
グループ展は「うわーいいなあ!」と思う人たちと一緒にやることで、自分に負荷をかけられる場。さらに、人の目に触れさせることで気づかなかった部分を見つけたり、自分なりの考えを確認する場であり、横のつながりを作る場。
個展……は、自分に負荷をかけるという意味では、たぶんグループ展の延長にありさらにその意味合いの強いものだと思うんだけど、もうひとつ何か足りないなあと今考えているところ。たぶん、それはいつどこでどういうふうに行うのかが大きく関わってくると思うんだけど。
もちろん、この意味付けはどんどん変わっていくものなんだけど、ここを固めていないと狙いの定まらないフラフラなボールを投げてしまって、何も意味なしみたいになりそうでねー。
というか、こんなことを考えずに心のおもむくままやってたらこんなことになりましたー! というナチュラルボーンな感じに憧れる気持ちもあるのだが、悲しからずやそういう天然風味は持っていない人間なので、まあ、こんな調子でいきますよ。
もっといえば、このブログもそうだけど、何のためにやるんだろう、これをやることにどんな意義があるんだろう、っていうのを結構考えてしまう。
そうやって意味付けをしないではいられない自分を「うっとおしいなー」とか「めんどくせーなー」とか思いつつ、わりとこの作業は頻繁に自分の中で行われているのです。めんどくせえなあ自分。
コンペへの応募については、今年に入ってからやっと「自分の力がどこまで届くかを見られる場」という定義をつけることができた。
グループ展は「うわーいいなあ!」と思う人たちと一緒にやることで、自分に負荷をかけられる場。さらに、人の目に触れさせることで気づかなかった部分を見つけたり、自分なりの考えを確認する場であり、横のつながりを作る場。
個展……は、自分に負荷をかけるという意味では、たぶんグループ展の延長にありさらにその意味合いの強いものだと思うんだけど、もうひとつ何か足りないなあと今考えているところ。たぶん、それはいつどこでどういうふうに行うのかが大きく関わってくると思うんだけど。
もちろん、この意味付けはどんどん変わっていくものなんだけど、ここを固めていないと狙いの定まらないフラフラなボールを投げてしまって、何も意味なしみたいになりそうでねー。
というか、こんなことを考えずに心のおもむくままやってたらこんなことになりましたー! というナチュラルボーンな感じに憧れる気持ちもあるのだが、悲しからずやそういう天然風味は持っていない人間なので、まあ、こんな調子でいきますよ。
by kittarihattari
| 2010-10-25 12:41
| 日常